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執筆者の写真Yuki Yoshio

5月

いうて上げてるのは4月の写真。

5月を迎えた。早い。


もうここまで早い しか感じられないのであれば 「やっと○月まで来た~」みたいになるよう生きてくしかないんだろうなと思う。どうしたらいいんだか訳分からんけど。


たぶん、でも「いろんなことをする」「いろんな人に会う」「いろんな場所にいく」あたりなんだろうな~とボンヤリ思う。


最近の自分はどんな感じなんだろうか。

ブログや日記に書き残してなお、自分の気持ちや考えに整理などつかずに毎日を過ごしている。

それでも、例えば昨日こんな記事を見つけた。

「人生の終末期における認知症発症は死に対しての恐怖の緩和」というもの。

もちろん、ひとつの側面だけで全てを測ることは出来ないけれど、なるほどそのような考え方もあるのか…と思った。たしかに死の直前になって頭がフル回転して死の恐怖と隣り合わせで生き続けることが幸せとは到底思えない。幸せに年老いて、その結果 脳機能の低下して慎ましくその人生の幕を引くことが出来たら、たしかにそれは自然の摂理としては至極合理的なシステムだろう…と。


まあ何が言いたいかと言うと、たぶん考えすぎてもどうにもならない事ってすごく沢山あるんだろう…ということだ。

人間が生きているうちに死ぬことにいくら想像を巡らせても、ある側面は事実的に捉えられても、本質的には結局何も分からないということ。

割り切れない、答えが出しきれないことの方が多いんだろう。で、そこから文章が2つあって、ひとつは「だから割り切れるまで考えることが大事だよね」もう一方は「考えても仕方ないと思った時に、考えを止めたことに気を持っていかれないことも大事だよね」。


自分にとって割り切れるまで考えた方がいい事ってなんだろう。

あるいはもう考えなくていい事ってなんだろう。

で、そこにモヤモヤ考え続けて日が経っていく…ということだよな…無限ループ。。。


とりあえず目の前の仕事を1個1個しっかり完遂することだ、これは考えなくても分かるので…ここから頑張るとしよう…。


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